Q&A LIFE
歯物語

いくつもの
No.001
特別な入れ歯

あらすじ
学生時代、はじめて担当させてもらった患者さん
Sさん、77歳(当時)
大柄でがっしりとした風貌の男性。
舌がんの手術をした後、
入れ歯が合わなくなり作り直すことになった。
ただできるだけ舌に影響の少ない入れ歯にしてほしいとのこと。
学生なので、当然指導医の先生の指示の下、治療をすすめることになるが、治療をすすめるうち指導医の先生と患者さんの思いがズレることもあった。
そんな中で学生の立場で自分はどうすべきか悩みながら向き合った。
治療後にお手紙を頂き、それ以来Sさんとは卒業後も1年に一度年賀状のやり取りをしていた。
卒業して数年後、まだ大学病院に在籍していた先輩歯科医から連絡があった。Sさんのことでだ。
その先輩には大学時代、すごくお世話になって良く飲みに連れて行ってもらっていた。
だからわざわざ連絡をくれた。Sさんが入れ歯を支えている歯が虫歯になったからと治療を受けに来られたよと。
そのときはじめてSさんの入れ歯に対する思いを先輩歯科医から聞くことになる。
私の歯科医としての原点となる物語。
担当させていただく内藤と申します。よろしくお願いいたします。
「はじめまして、よろしく。」
Sさん。77歳男性。
やさしそうな雰囲気だが、大柄でがっしりした体格の方だった。
大学で学生に配当される患者さんは、基本的に温厚そうで、人柄もやさしく、時間も余裕のある方が多い。
明らかにSさんもそのタイプの方だった。余談になるが、新潟県は、人柄の優しい人が多く、だから学生の実習が成り立つとよく聞いていた。
その意味は、自分が歯科医になって関西に出るとよくわかった。関西の大学出身の同級生は、ほとんど実際に患者さんの治療を経験することなく、卒業してきていた。
誤解を恐れず言うならば、関西の患者さんは言いたいことをはっきり言う人たちが多い。確かに学生にはきついのかもしれない。
そんな学生の治療に付き合ってくれる患者さんがいて自分たちは学ぶことができている。本当に感謝しかない。
ではSさんとの話に戻そう。
「入れ歯をつくりたいとのことでしたね。今回指導医の田中先生からご紹介を頂きまして、僕が担当させて頂くことになりました。なんでもおっしゃってください。」
「そう、ありがとう。実は私は先日、手術を受けてね。舌がん。部分的だけど、切除したんだよね。ほら。」
Sさんは、舌を出して、その形を見せてくれた。確かに右側の舌の形がへこんだようになっている。傷跡はなくきれいだった。
「それは大変だったと思います。何かお困りなことや気になることはありますか?」
「手術の後は順調だよ。ただ今度入れ歯をつくるときは、できるだけ舌に影響が少ない入れ歯が良いかな。」
「ご心配されるお気持ちとてもわかります。指導医の先生とご相談させていただきながら、できるだけご期待にそえるように努力させていただきます。」
(特殊な舌の形や動きに合わせて入れ歯の形を決めることが必要か。何か特別な方法があるんだろうか・・・。)
私は、後日指導医の田中先生と相談した。
田中先生は少し考えていたが、一つの方法を提案してくれた。
「フレンジテクニックを使おうか」
フレンジテクニックとは、大学の授業では全く出てこなかったが、その方の舌の動きに合わせて入れ歯の形を決めていくテクニック。
舌がん手術後のSさんには最適な方法に思えた。
さすが指導医の先生。いろんな引き出しをもっている。
また、さらに田中先生は、この方は残っている歯を一部、コーヌス冠にしようと提案をしてくれた。その方が入れ歯が安定するからと。
コーヌス冠とは、茶筒式ともいわれて、金属のかぶせ同士の摩擦力で外れにくくするもの。
かぶせものと入れ歯が一体となっているので、引っかける部分がなくて、見た目が良いし、がっしりと安定感のある入れ歯になる。
ただ基本的に保険がきかない。
でも実は、大学ではそんな保険の効かない入れ歯がちょっと安くなるというメリットもある。学生に協力頂くのだからそれくらいないとと思う。
だからSさんもそんなに高額になることなく、その入れ歯を作ることができる。
指導医の田中先生いわく、なかなか学生にはつくらせない入れ歯だということだが、今回はそれにしようと。
私は、田中先生の指導の下、また、大学の技工士の先生と一緒に、そのコーヌス冠を使って、なおかつ、フレンジテクニックで特殊な形を決める入れ歯をつくっていった。
はじめてなことも多かったし、思ったようにうまくいかないこともあった。
そんな経験不足な自分を相手に、辛抱強く、時には励ましてもくれながら、温かく接してくれたSさん。
そんな大変なご協力を頂いて、何とか入れ歯を完成することができた。
大変満足していただけたように思えた。
ただ、Sさんとしてはどうしても上あごの入れ歯の形が長すぎてもう少し小さくしてほしいとのことだった。
私は指導医の田中先生に相談したが、入れ歯の安定と機能性のためにそこはあまりいじらない方が良いとのこと。
確かにその通りだと思ったが、Sさんとしてはほんのちょっとで良いんだと何度もお願いされた。
指導医の田中先生の指示する理由もちゃんと伝え、来院のたびにお話ししたが、やはりその後進展はなかった。
「やっぱり何とかなりませんか?ほんのちょっとで良いんですが。」
「ここの部分ですよね?ちょっと指導医の先生にまた相談してみます」
指導医の田中先生に何とかお願いして、あまり乗り気ではなさそうだったが、そんなに言うのならやってみたらと何とか了承を得た。
「あ、すっきりしました。これでだいぶ楽になった!」
ほんのちょっと数ミリ程度、形を整えただけ。でもSさんはその日大変喜んで帰っていった。
入れ歯の安定も特別悪くなる様子はないようで、ひとまず安心した。
自分も入れ歯の治療をして終了することが、学生実習としてもノルマとして必要だったので、もしこれでまた大きな修理ややり直しが必要にでもなってしまったら、終わらないかもしれない。
ちょっとそんな思いもよぎったのは事実だった。
そんなこんなで、無事に学生の実習も終わり、実習終了後の感謝状を贈り、そのお返事を頂いてから、年賀状のやり取りをさせてもらうことになった。
いつもそこに多少、近況が書いてあるが数年後、ある年の年賀状に、「先日、内藤先生の先輩歯科医の方に虫歯治療してもらいました」と記載があった。
その先輩歯科医は、学生時代に大変お世話になった方で、よく飲みにも連れて行ってもらった。
そこで仕事のことや将来のことをよく語っていた。だからわざわざその先輩歯科医も私に連絡をくれた。
「内藤君が学生時代に入れ歯をつくった患者さんがきたよ」
「え?でもなんで僕がつくったってわかったんですか?」
「ああ、Sさんが言ってたんだよ。名前を直接言ってはなかったけど。その学生は勉強したいことがあるから神戸に行ったって。それに、Sさんの話聞いて、絶対内藤君だって思ったよ。」
「そうなんですね。Sさんは何をおっしゃっていたんですか?」
「その学生が一生懸命つくった大事な入れ歯だから、絶対この入れ歯を使えるように虫歯治療をしてくれって。内藤君の患者さんらしいなって。」
先輩歯科医に無事に入れ歯を使えるように虫歯治療をしてもらったSさんと、その後さらに何年か年賀状のやりとりをした。
ただある年から、達筆だった字に変化があらわれ、その翌年、とうとう返事がこなくなってしまった。
(何かあったのかな)
そう不安に思いながらも
今も確かめることができないままでいる。
あとがき
私は、Sさんがそんなふうに思いをもって、自分のつくった入れ歯を使っていてくれたことを聞き、本当に涙が出るほどうれしかった。
Sさんとの関わりは、今考えると自分の歯科医師としての原点だったと思う。
一生懸命に気持ちを込めて作った入れ歯は、ただの入れ歯ではなく、その人にとって特別な入れ歯になる。
そのためには、一緒に悩みながら前に進み、一緒につくっていくプロセスが重要だ。
そのプロセスが信頼関係を作り、その関係性自体が良い治療結果につながる。
これは入れ歯治療に限らない。
どんな治療でも気持ちを込めて行うと、それは特別なものになる。
そんなとき、奇跡的な結果も生まれる。
そしてそこには必ず良いプロセス、良い物語がある。今ではそう確信している。
ただ心残りはある。
今、Sさんの状況がわからないし、怖くて確かめることができないこと。
長岡に開業してから指導医の田中先生にも聞いたが、もう通院されていないとのことだった。
お元気でいることを願う。
このことがあってから、できたら患者さんの人生を最後まで支援できる歯科医院にしたいと思うようになった。
執筆者:内藤(歯科医師)