Q&A LIFE
歯物語

いくつもの
No.006
プロバスケットボール選⼿と⻭科技⼯⼠をつないだアイデア

あらすじ
ある夏の夜、新潟アルビレックスBBのオフィシャルパートナーでもある⼤学時代の先輩・K先⽣から⼀本の電話が⼊った。
「パリオリンピック観戦で⽇本にいないため、代わりに前⻭を折ったプロバスケ選⼿を診てほしい」という緊急依頼。
まさかの元⽇本代表・川村選⼿の治療を引き受けることになり、シーズン中のプロアスリートならではの苦労も多々あったが、なんとか治療を完了させた。
さらにその後、川村選⼿の協⼒により思わぬコラボ企画が動き出すことになった。
その名も『⻭科医院から⻭科技⼯所へ⽇頃の感謝を伝えよう企画』。
患者さんと⻭科医院と⻭科技⼯所と、三者の思いをつなぐこの取り組みが、⻭科技⼯⼠業界の抱える課題にも⼀⽯を投じるかもしれない。
今回は、ご本⼈に実名と写真の掲載許可をいただいたうえで、実際の物語を三章構成でお届けします。
第⼀章 出会いと応急処置
2024年8⽉初旬、猛暑が続く⻑岡の夜、⼤学時代の先輩・K先⽣から突然の電話があった。
K先⽣は新潟アルビレックスBBの公式スポンサーにもなっている⻭科医で、⼤学時代からバスケをこよなく愛し、選⼿たちを熱⼼に応援している。バスケのイベントや⾷事会なども積極的に開催し、楽しむことに全⼒を注ぐ姿勢が印象的な先輩だ。先⽇お会いしたとき「何事も楽しまないとね」と何気なく⼝にされた⾔葉が妙に芯をつくように⾃分の⼼に残っていた。
そのK先⽣が、いつになく慌ただしい声でこう切り出した。
「明⽇、プロのバスケ選⼿を診てほしいんだけど……前⻭が折れちゃったらしいんだよ。午前中に仮⻭を付けてあげてくれないかな?」
話を聞くと、折れてしまったのは元⽇本代表にも選出された川村選⼿の前⻭で、今年から新潟アルビレックスBBに加⼊するという。イベントで参加者の頭が当たってしまい、前⻭が根元から折れたらしい。
「本当はオレが診る予定だったんだけど、今パリでさ…パリオリンピックを観戦してるんだ。息⼦がどうしても⾏きたいって⾔うから、せっかくだからと思ってね。アメリカ代表も⾒たよ!やっぱり⽣で⾒たらすごいね!」
電話越しに聞こえるK先⽣の声はどこか楽しそうで、こちらとしては羨ましさもあったが、とにかく急いで対応しなければならないと感じた。
「わかりました。川村選⼿には明⽇の朝イチで来院してもらえるよう伝えてください」
そう返事をしたものの、プロバスケ選⼿、それも元⽇本代表クラスの治療となると少々緊張した。実は⾃分も中学から⼤学までバスケを続けていたので、彼の存在を知っていたし、その実⼒にも⼀⽬置いていたからである。
翌朝、川村選⼿は予約どおりに来院した。⾝⻑は193センチと聞いていたが、実際に⽬の前に⽴つと迫⼒がある。にもかかわらず、本⼈はとても礼儀正しく、
「突然お邪魔してすみません。K先⽣からご紹介いただきました」
と丁寧に挨拶をしてくれた。状況を診てみると、前⻭2本の被せ物が⼟台ごと壊れてしまっていた。午後には移籍後のチーム写真撮影が控えているという。もちろんK 先⽣の依頼通り、今⽇前⻭の仮づけは対応させてもらうと伝え、了承を得た上ですぐに応急処置に取りかかった。⼟台の状態をざっと確認したうえで、折れた部分を整え、仮⻭の装着を⾏う。本⼈にもチームにも迷惑をかけずに済むよう、細⼼の注意を払いつつも時間と勝負をするような気持ちだった。
幸いにも応急処置は順調に進み、川村選⼿は「本当に助かりました」と安堵の表情で帰っていった。「午後の撮影が無事にこなせそう」と笑っていたのが印象的である。こちらとしても少し緊張していたが、プロの選⼿を救えた達成感があった。K先⽣にもLINEで報告を⼊れておいた。
その⽇、治療を終えた川村選⼿はなんとか無事に写真撮影を終えることができたようだった。
第⼆章 シーズン中の治療経過
「お疲れさま。川村選⼿、すごく助かったって⾔ってたよ」
応急処置からおよそ1か⽉後、K先⽣からLINEで思わぬ依頼が届いた。
「でさ、川村選⼿が本格的な治療をしたいらしくて。とはいえ本格治療となるとどうしても通院回数が多いし、うちの医院はちょっと遠いんだよね。引き続き、内藤君のところで治療をお願いできないかな? うちとしても内藤君なら安⼼だし、川村選⼿もそう希望してるみたいだから」
こうして当院で川村選⼿の前⻭治療を継続することになったが、シーズン中のプロバスケ選⼿の治療には独特の難しさがある。バスケは接触も多く、⻭に強い衝撃がかかる場⾯が考えられるうえ、遠征試合が⼊るとスケジュールが不規則になる。
案の定、ある⽇、富⼭で遠征中の川村選⼿から連絡があった。
「仮⻭が取れちゃったんですけど、⼟曜なので近くの⻭医者さんも空いていなくて…瞬間接着剤で付けても⼤丈夫ですか?」
本来なら推奨したくない⽅法だが、選⼿にとっては翌⽇の練習や試合が優先される。どうしても通院できないとあってはやむを得ない。
「うーん、本当は近くの⻭科で仮付けしてもらうのが⼀番なんですけど、難しいですか?」
「そうなんですよ…なかなか時間もとれなくて……」
「仕⽅ないですね。少量の瞬間接着剤を仮⻭の内側に塗って、はみ出ないようにつけてみてください。次の来院時に何とかしますので!」
「わかりました!やってみます!」
仮⻭はあくまで仮のものであるため、どうしても外れやすい。しかも川村選⼿からは「なるべく取れないように強くつけてほしい。時間も費⽤もかかって構わない」と⾔われていた。だが、強くつけすぎると毎回の治療時にも⽀障が出る。懸念はあったが、結局強い材料で接着し、治療のたびに仮⻭を壊して外し、新たに作り直すという作業を繰り返すこととなった。
⼀⽅、川村選⼿の活躍はネットニュースなどでもよく⾒かけるようになった。
「B3 新潟が3連勝、元⽇本代表・川村卓也が復活の3点シュート!『⼀番盛り上がった』」
そんな⾒出しを⽬にするたび、活躍をうれしく思う反⾯、「仮⻭が外れていないだろうか」とヒヤヒヤしていた。
芸能⼈やプロのアスリートなど、有名⼈を診る機会はこれまでも何度かあった。担当した⽅々が活躍するのを⾒るのは嬉しいものだが、それ以上に活動に⽀障がでないように集中して治療し、⼼配しながら⾒守る気持ちの⽅が強い。
トップアスリートは⾝体感覚が鋭敏で、⾃分の体に起こる⼩さな変化にも敏感だ。実際、かみ合わせのわずかなズレや⻭の形状の違いをとても気にする選⼿も少なくない。川村選⼿もやはりその⼀⼈で、⾊や隙間、形などの要望を具体的に伝えてきた。
おかげで仮⻭のデザインや本番の被せ物の⾊決めなど、いつも以上に時間をかけて調整を⾏った。最終的には後にホワイトニングも予定しているとのことで少し⽩めの⾊で仕上げることになったが、それを⾒た川村選⼿が「これなら⾃分のイメージに近いです」と満⾜そうに笑ってくれたのでほっとした。
第三章 コラボ企画誕⽣
今回、川村選⼿の前⻭を製作してくれた⻭科技⼯⼠のN さんは⼤阪在住で、⼤のバスケ好きだと聞いていた。これまでも「キューアンドエー⻭科医院さんって、バスケ強豪の帝京⻑岡⾼校の近くですよね?」と話題を振ってきたことがあり、バスケ熱も相当⾼いと感じていた。
⻭科技⼯⼠は患者さんと直接会うことはほとんどなく、⻭科医を通じてでしか患者さんの要望や感謝などの思いが届かないという難しさがある。実際に製作した⻭がどう患者さんの⼝の中で機能しているのかをリアルタイムで知る機会も少ないため、モチベーションが下がりやすいと聞いたこともある。
そこで思いついたのが、川村選⼿と⻭科技⼯⼠をちょっとした形で“つなぐ”企画だった。川村選⼿のサインやメッセージを添えた写真をバスケ⼤好きの⻭科技⼯⼠Nさんに贈り、「あなたが作った⻭はこんな⽅の⼝に装着され、こんなに喜ばれているんですよ」と直接伝えてみたらどうだろうと考えたのである。
治療が⼀段落し、メインテナンスで来院されていた川村選⼿にその話を振ってみたところ、川村選⼿は「もちろんいいですよ!」と⼆つ返事で、スタッフも交えて楽しそうに写真を撮影してくれた。その場でサインを書き込み、「高木デンタルラボラトリー様へ、綺麗な前⻭をありがとうございました!」というメッセージも添えてくれた。





「こんな写真を撮るとなんだか卒業式みたいな気分になりますね。次回、ちょっと来づらいんですけど(笑)」
「いえいえ、ぜひ今後も気軽に通ってください」
「契約の関係でいつまで新潟でプレーできるかわからないですけど、いる限りまたお世話になります」
「いつまでプレーできるかわからないプレッシャーの中でパフォーマンスを出し続ける、やはりすごい世界ですね。でも川村選⼿なら引退後も引⼿数多じゃないですか?」
「そんなことないですよ、引退したらどうやって⽣きていこうかなって悩みますね。あ、ここで求⼈出してたりします?」
最後はユーモアで場を和ませてくれた川村選⼿は、また厳しいプロの世界で戦うべく医院を後にした。
川村選⼿の帰宅後、
「あ、駐⾞場の雪かきとかどうですかね?」
うちのスタッフが本気で川村選⼿の引退後の仕事を考えていた。
あとがき
プロアスリートや芸能⼈など、有名⼈の治療を担当するときは、何度経験しても任されるやりがいと同時に⼤きなプレッシャーを感じる。たとえば、⼤⾕翔平選⼿の⼿術を担当したドクターは、どれほどの重圧を背負っていただろう。
そうしたプレッシャーを乗り越えるには、⽇々の研鑽と治療に対する根拠ある⾃信が必要だと改めて思う。
ちなみに後⽇、川村選⼿の写真とサインを⻭科技⼯⼠のN さんに送ったところ、想像以上に喜んでもらえた。こちらとしても嬉しくなるばかりだ。⻭科技⼯⼠は⻭科医療に⽋かせないパートナーでありながら、患者さんから直接「ありがとう」と⾔われにくい存在である。
離職率が⾼いという問題も⽿にする。僕の⾝近にもそんな業界を変えていきたいと⼀⽣懸命な⼈たちもいる。今回の川村選⼿とのコラボ企画は、⼩さな⼀歩ではあるが、これからの患者さんと⻭科医院と⻭科技⼯所と、三者の関係性をうまくつなぎ直すきっかけになるかもしれない。
快く協⼒してくれた川村選⼿、そしてこの縁をつないでくれたK 先⽣には⼼から感謝したい。K先⽣は相変わらず新潟アルビレックスBBの試合に⾜を運んでいるようだ。忙しい合間にフットワーク軽く動けるのは、さすがバスケを愛する先輩だと改めて感⼼するばかりである。
元⽇本代表・川村選⼿との縁は思わぬ形で広がり、僕たち⾃⾝も新たな学びを得る機会となった。今後もキューアンドエー⻭科医院では、患者さんの喜びや感謝を⻭科技⼯所と共有できる場をつくっていきたい。この取り組みが広がり、少しでも⻭科技⼯⼠業界に良い影響を与えられたら嬉しい。