Q&A LIFE
歯物語

いくつもの
No.003
残された時間でつくりたいもの

あらすじ
久しぶりに来院されたKさん。
白髪で知的な感じある75歳の男性。
Kさんは今真剣につくっているものがあるという。
そのために今最も大事なのはそのための時間だという。
時間が足りない。健康でいられる時間がもっと欲しい。
Kさんは一体何をつくっているのか。
そして自分たちは何をお手伝いできるのか。
Kさん、おひさしぶりですね。
「はい。すみません、だいぶ間が空いてしまっていて。行こう行こうとは思っていたのですが、つい日々の忙しさで後回しになってしまって。」
最後の来院から1年半くらいになりますね。右上の歯にかぶせものを入れたのが最後になりますね。その後お困りなことはなかったですか?
「はい。おかげ様で普段の生活で困るってことはなくて。ごはんもおいしく食べれているし、痛いってこともなくて。」
それは安心しました。でも今回来院されたのは、何かきっかけがあったんですか?
「そうなんです。長岡市から後期高齢者検診の案内が来まして。まずはこれを受けてみようと思ったんです。もう75歳になったのかって。」
そうですね。長岡市は75歳になると案内が来ますからね。今回、健診の結果としては、1年半前と大きくお変わりはないようですが、以前もお話し合いしていたかと思いますが、歯の無い所に入れ歯などの歯を入れるかどうかでしたね。
「そうなんです。入れ歯などを入れたほうが良いのか、気にはなるんです。先生はどう思われますか?」
そうですね、歯科医としての立場から言うと、理想は入れて過ごしていただく方が良いですよね。理由としては、2つあって。
一つは、良く咬めることで生活の質があがること。もう一つは、健康を維持しやすいこと。今ある歯や口の状態を維持したり、体や能の機能の低下を防ぐ目的もあると言われていますから。
良く咬めることは認知症予防の効果もあると言われますよ。
「やっぱり入れ歯は入れた方が良いですか・・・」
(残念な表情をみせる)
ただ、Kさんが普段の日常生活で困ってないとすると、入れ歯を入れることで、生活の質が上がるかどうか。
「どういうことですか?」
入れ歯を入れた場合、人によっては、異物感があるので、入れ歯がない方が過ごしやすい、ご飯もおいしく食べれる、なんてこともあります。特に普段困っていないならなおさらです。
「そうなんです。今は全然困ってなくて。」
入れ歯は、今困っていないと、慣れるまでは邪魔でしかないように感じることもあります。今の困っていない状況をできるだけ維持するという目的もあるのですが。
「そうなんですね。入れ歯はやっぱり入れるべきですか・・・」
(再びとても残念な表情に)
ちなみに、Kさんは、今一番大事にしていることって何ですか?
「え?一番大事にしていることですか
・・・それだと、時間ですかね。」
時間?確かに大事ですよね。でもその貴重な時間を使って歯科医院に来院されるって何か強いご要望やご期待があるんですよね?
「もう75歳ですからね。自分には時間がなくて。だからできるだけ元気でいられる時間がほしいんです。」
そうすると、何にその時間は使いたいって考えているんですか?
「今、自分は勉強したい。研究したいことがあるんです。」
べんきょう? 一体なにを勉強しているんですか?
「歴史なんです。歴史をひも解くと、日本とヨーロッパの関わりがみえてくるんです。」
歴史でそんなに気になることがあったんですか?
「そうなんです。日本は鎖国時代があって、外国と全く交流がなかったと言われているけど、実はその鎖国時代にも、ヨーロッパとのつながりはあったんじゃないかって。そうじゃないとつじつまが合わないことがあるんです」
なるほど。そこで実際はどうだったのかってことを調べているわけですか。
「はい。図書館に行ったり、本屋でそういう書物を調べて、その当時の出来事をつなげると、新たな年表が出来上がるんです。どうも自分たちが習ってきた年表とはちょっと違うんじゃないかと。」
へえ、そうなんですね。おもしろいですね。新たな年表をつくっているわけですか。
「そうなんです。まだまだわからないことだらけで、まだはじめて3~4年くらいなので、時間が全然足りないんです。」
そっか、仕事をリタイアしてから始めたんですね。それまでは全然そういう研究はしていなかったんですか?確か、以前は銀行でお勤めしていたんですよね?定年後は介護施設を手伝われたとおっしゃっていたかと。
「はい、歴史の仕事のリタイア後に始めました。それまでは全然。」
今やっている研究は、どこかで発表するんですか?
「いやあ、自分はパソコンが苦手でして、本にしたりデータにはできないかもしれません。ただすごい量にはなりそうで、それをまとめて、自分の子供に残そうと思うんです。
たぶん子供たちはもらってもすぐ捨ててしまうと思うんですけどね(笑)」
あ、お父さんお疲れ様って一緒に棺桶に入れて?
「そうそう!(笑)」
でも、そんなことを話しているKさんの表情はすごくイキイキしていますね。元気に研究できる時間が欲しい。そのためにできるだけ今の状況を維持したいってことですよね。
「そうなんです。だから想いとしては、歯医者の先生には申し訳ないし、非常識かもしれないけど、入れ歯などは入れずに
今ある歯をかわいがっていきたいんです。そのために必要なら定期的に通院しますんで」
そういうことですね。わかりました。今の生活ができるだけ続くように、でも今は積極的な治療でその貴重な時間をできるだけ奪わないようにお手伝いしたいと思います。
「いやこんな話をしてしまって申し訳ない。でもこういう想いを聞いてくれて、それに沿って協力してくれる歯科医院には、ぜひ長く通わせてもらいたいって思います。」
ありがとうございます。でもそこはバランスですね。
できるだけ困らず今の生活を維持するために、どうすれば良いかは、変わってくるかもしれませんから。長い目で治療をもう少しおすすめするときもくるかもしれません。
でも今は、このままの状態で定期的に予防する方向性にしましょう。
「了解しました。その時はお願いします。」
研究が進むといいですね。また進んだらぜひ教えて頂けると嬉しいです。事実を調べて、そこから関係性を推察していく。
それってすごいことですね。
「ありがとございます。いや関係ない話を長々としてしまってすみません。では今後ともよろしくお願いします」
(そういってKさんは今も予防や口腔機能維持のために毎月来院している)
あとがき
Kさんは自分の年表をつくっていた。
残りの時間はその時間にできる限り当てたいのだと。
Kさんとお話していて思うのは、何はともあれ、何かをつくっているということ、夢中になれる生きがいがあるということ、そのことで人はほんとに元気でイキイキするということ。
私たちは歯科医師としてのエゴを押し付けることで、そんな方の生活の質を落とさないようにしないといけない。
歯科医師としては入れ歯を入れてほしいという想いはあるが、入れ歯を入れることだけが正解ではない。
ただその反面、今の状況が続くように、健康寿命延伸のための歯科医療としての取り組みを少しずつでもご理解いただきKさんの健康な時間を延ばす支援していくようにしたい。
執筆者:内藤(歯科医師)