Q&A LIFE
歯物語

いくつもの
No.004
前歯の謎と向き合った15か月

あらすじ
「前歯のかぶせが取れちゃったんです」
ほかの歯科医院で治療した前歯がすぐ取れてしまうと、ある男性患者さんが訪れた。
「前に見てもらっていた歯医者さんでは忙しそうにただつけ直されるだけで、なぜ取れるかはあまり真剣に取り合ってもらえなくて…」
何度つけ直してもすぐに取れてしまう前歯。さまざまな試行錯誤を経て、最終的には1年3か月にわたりお付き合いすることになった。
その末に意外な原因が見つかったのだが、同時に「歯科医院のあるべき姿勢」を改めて考えさせられる機会ともなった。
令和5年8月、当院へ初診にいらした40代後半の男性患者さん。がっしりとした体格で、いかにも噛む力が強そうな印象だ。
「実は他の歯医者で前歯のかぶせ物をつけてもらったんですが、翌日には取れちゃいまして…。もう一度つけてもらったけど、またすぐ取れました」
前歯は見た目も大事なので急いで対応したかったが、前の医院では取れてしまう原因を調べてはもらえず、患者さんも「忙しそうだし、言いづらい雰囲気で…」と感じて別の医院を探していたらしい。そんなときに知人や床屋さんから「なんだかいいらしいよ」と勧められ、うちの医院へたどり着いたそうだ。
(なぜ床屋さんが?とは思ったが、口コミが広がっていると考えれば嬉しいことだ)
実際に前歯を見てみると、歯ぐきからわずかしか歯が出ていない。あまりに歯が短いので、そりゃかぶせを付けても取れやすいはずだ。
「まずは外科処置で歯ぐきを下げて、歯をしっかり露出させてから作り直した方がいいですね」
こうすれば高さが確保でき、取れにくくなるだろうと当初は考えていた。
ところが、仮のかぶせをつけたわずか3日後に「取れてしまいました」と連絡が入った。こちらとしては「えっ!? なんで!?」と正直驚きを隠せない。
「歯ぐきを下げて高さを作れば、とりあえず安定すると思ったのに…なんでだろう?」
さまざまな仮説を検証しながら、試行錯誤の日々が始まった。さらに治療の途中で左上の奥歯のかぶせまで取れてしまい、前歯への負担が一層大きくなるという悪循環にも陥った。
「奥歯もちゃんと治して支えを作らないと前歯に大きな負担がかかる」
そう考え、奥歯の治療も同時並行で進めることに。神経を取ってある歯が割れていたり、他院での治療痕がかなり古くなっていたりと、元々課題の多い口腔内ではあった。
ひとまず前歯を優先に治療していたが、「これは一度根本的に取り組まなきゃいけないですね」と患者さんとも合意し、分割抜歯を含む大掛かりな処置を行いながら前歯の仮のかぶせは何度も取り付け直した。
それでも定期的にポロッと外れてしまう前歯——。
やがて段々と寒くなり始めた頃、その患者さんが突然通院をキャンセルしたことがあった。後日聞くと、なんと3週間ほど気胸の治療で入院していたという。
「この間、息苦しくて受診したんですが、お医者さんには『喘息かもね』と言われ続けていて…。でも先日、とうとう救急車を呼ぶほどになり、きちんと調べてもらったら実は気胸でした…」
と溜め息まじりに語る患者さんからは、どことなく医療に対する諦めのような気持ちも感じた。これは憶測にすぎないかもしれないが、自分としては「なおさら前歯が取れる原因を突き詰めたい」という思いが強くなった。
しかし、その後につけた前歯もまた取れてしまう。
「一体、なんでこんなに取れちゃうんだろう…」
患者さんは申し訳なさそうに「またすいません…」と頭を下げるばかり。
「いえ、悪いのは決してあなたではありませんから!」
こちらもモヤモヤするが、だからこそ「なんとかしてあげたい」という思いが増していった。
初診から半年ほど過ぎた頃だった。
「この方、寝ている時に限界運動幅ギリギリまで下あごを動かしているのかも…」
通常の噛み合わせ確認は、上下の歯が軽く当たった状態や少しずらした程度の範囲でチェックする。しかしこの患者さんは、寝ている間の歯ぎしりが相当激しいらしく、“ありえないほど横や斜めに”下あごが動いていたことが判明した。
「まさかそこまで動いているとは思わなかった…」
急いで想定外の当たりが出そうな部分を徹底的に調整し、仮のかぶせを装着してみると、あれほど取れまくっていた前歯が嘘のように外れなくなった。
歯ぐきのラインを再度しっかり整える外科的処置も行い、春頃には保険適用の最終かぶせを装着。そこからは見違えるほど安定し、奥歯もしっかり支えを作れたことで前歯の負担も減った。
メンテナンスで様子を見ている際、患者さんからこんな話が出た。
「実は近々、転勤で関東に戻ることになったんです。ここまで向き合ってくれた先生は初めてでした。本当にありがとうございます。それにしても、歯医者選びって大事なんですね…」
最後の受診は令和6年11月。どうやら1年3か月のお付き合いになったようだ。歯ぎしり対策にマウスピースも作ったが、ついついつけ忘れちゃうとのことであまり活用できていないのが今後の課題かもしれない。それでも「また同じことになっても、『なんでだろう?』に向き合ってくれる歯医者さんを探そうと思います」と少し寂しげな笑顔で話してくれた。
あとがき
「なんでこんなに取れるんだろう?」
この疑問を「面倒だな」とスルーするか、「徹底的に探ってみよう」と取り組むかは、歯科医師次第かもしれない。
患者さんが以前通っていた歯医者さんは流れ作業で再装着してくれただけで、忙しそうな雰囲気もあって深く突っ込むことはなかったようだ。
患者さんも原因不明のままそこを離れ、そのままになっていた。
うちの医院としても、最初は「歯ぐきを下げれば解決だろう」と軽く考えていた。ところがそう簡単にはいかず、思わぬ遠回りをする結果に。
しかし「どうしてだろう?」という問いをとことん追いかけたことで、その患者さんにとって最適な治療を提示できた。
普通は当たらないような箇所で当たっていたり、寝ている間の歯ぎしりが想定を超えていたりする場合もある。それらを患者さんとの話し合いから探って把握しなければ、何度やってもかぶせが取れ続ける。
だからこそ、わざわざ時間をかけて「なんで」を突き止める意義は大きいし、それによって患者さんとの信頼関係も育まれるのだと改めて感じた。
患者さんが最後に言っていた「歯医者選びは大事ですね」という言葉はとても印象的だった。歯科医師としても「なんでだろう?」に正面から向き合うことこそが、自分たちのスキルアップになり、患者さんにとって安心できる歯科医療へとつながる——そう思わされた症例だった。
執筆者:内藤(歯科医師)